中職猿獅戰今天賽前來了一位特別開球嘉賓,來自福島的丸山大翔,他為比賽開出第一球,也寫出一封信送給台灣朋友。
丸山是福島的受災戶,因為受到311大地震影響,所以有不少小朋友也受到驚嚇,因此猿隊特別招待他們免費看球,希望能夠撫慰他們的心靈。
以下為信件全文:
我們是從日本的福島縣來的『Happy ♡ Island』。
2011年3月11日發生了東日本大地震,至今也已五年四個月了。那個時候,受災地接受到了許許多多來自台灣的支援。那時因受地震的影響,生活所需的設施均被斷絕,連水都很難取得。由台灣送來的募款被使用於物資、醫院的建設等等,很多人都很感激。真的很謝謝您們。
我們所居住的福島縣,可以生活地區的街道雖然已被修復好,但因為核能發電廠事故的影響,仍有地區是處於無法居住的狀態。有很多人因而無法回到故鄉而在外地過著避難生活。為了想讓無法到台灣避難或移民台灣的孩子們能夠在沒有核能不安的地方做短期間的生活,並藉由交流與體驗讓他們能對未來抱有希望,所以我們今天來到了這裡。
私たちは日本の福島県から来ました。 2011年3月11日に東日本大震災が起き、あれから5年4ヶ月が過ぎました。 あの時、台湾から被災地へ沢山の支援が送られました。 地震の影響でライフラインは途絶え水を手に入れるのも困難でした。 台湾から送られた義援金は物資や病院の建設などに使われ、多くの人が感謝しています。 本当にありがとうございました。 私たちが住んでる福島県。 生活できる場所の街並みは綺麗に修復されましたが、原発事故の影響で今も住めない町があります。 多くの方が故郷へ戻ることが出来ずに避難生活をしています。 台湾へは避難や移住が出来ない子どもたちに放射能の不安のないところで短い期間でも生活してもらい、交流や体験を通して未来への希望へと繋がるようにと願い来ました。
我是廣告 請繼續往下閱讀
以下為信件全文:
我們是從日本的福島縣來的『Happy ♡ Island』。
2011年3月11日發生了東日本大地震,至今也已五年四個月了。那個時候,受災地接受到了許許多多來自台灣的支援。那時因受地震的影響,生活所需的設施均被斷絕,連水都很難取得。由台灣送來的募款被使用於物資、醫院的建設等等,很多人都很感激。真的很謝謝您們。
我們所居住的福島縣,可以生活地區的街道雖然已被修復好,但因為核能發電廠事故的影響,仍有地區是處於無法居住的狀態。有很多人因而無法回到故鄉而在外地過著避難生活。為了想讓無法到台灣避難或移民台灣的孩子們能夠在沒有核能不安的地方做短期間的生活,並藉由交流與體驗讓他們能對未來抱有希望,所以我們今天來到了這裡。
私たちは日本の福島県から来ました。 2011年3月11日に東日本大震災が起き、あれから5年4ヶ月が過ぎました。 あの時、台湾から被災地へ沢山の支援が送られました。 地震の影響でライフラインは途絶え水を手に入れるのも困難でした。 台湾から送られた義援金は物資や病院の建設などに使われ、多くの人が感謝しています。 本当にありがとうございました。 私たちが住んでる福島県。 生活できる場所の街並みは綺麗に修復されましたが、原発事故の影響で今も住めない町があります。 多くの方が故郷へ戻ることが出来ずに避難生活をしています。 台湾へは避難や移住が出来ない子どもたちに放射能の不安のないところで短い期間でも生活してもらい、交流や体験を通して未来への希望へと繋がるようにと願い来ました。